栃木県 野州てまり
野州てまりのつくられる、栃木県宇都宮は日光街道の重要な宿場町であり、結城紬や真岡木綿などの産地としても知られており、徳川譜代重臣が治めた城下町であったことから、御殿女中などによって手毬が作られいたと思われる。
野州と称される栃木県のこの手毬は、その昔、この土地が
野州下野国と呼ばれていたことに由来する。鬼怒川など美しい川や、山、豊に開けた田畑によって育まれた手工芸としての手毬づくり。その美しさと、子供の玩具の一つでもある御殿手毬を伝承すべく、地元宇都宮で活動しておられた創始者の先生が野州手毬と名称し、木の実や繭の芯を毛羽やゼンマイ綿で包み、土地の草花をモチーフに草木染の絹糸、木綿糸で刺しかがった、弾力性のある御殿てまりである。
日本の手毬は古くは蹴鞠として平安宮廷文化、公家の間で広がり、その後、蹴る毬が手の毬へとかわり、江戸の時代には女児の正月遊びの手毬として、武家の子女の玩具、お輿入れの際の幸せを願う縁起物、魔よけや、装飾品として作られていた。
こちらの、美しく見事な手毬は、河原撫子、姫小松、さつきのモチーフで五月生まれの娘のため、もうずいぶん昔に野州手毬の名づけ親である先生に作っていただいた三点である。
あんなに小さかった娘が立派な大人になれたのは、この手毬達のお陰さまでありましょう。